10月の終わり、金沢の街を走った。42.195km。初めてのフルマラソンだった。
初めての金沢マラソン、雨でも最高だったと僕が叫ぶ理由の要点
前日の夕方、金沢駅に降り立った瞬間から、なにかが違った。改札を抜けた先で、ボランティアのおばちゃんが小さな紙コップを差し出している。「金沢へようこそ、これ飲んで元気出してね」。金粉入りのお茶だった。キラキラと光る粉が浮かぶそれを見て、なんだかもう、この街に迎え入れてもらえたような気がした。
受付会場の石川県立音楽堂は、駅から歩いてすぐ。ゼッケンを受け取るとき、担当してくれた学生らしき女性が「明日、楽しんでくださいね!」と笑った。マラソン大会の受付で、こんなに温かい言葉をかけられたのは初めてだった。
宿は金沢駅から徒歩10分のビジネスホテル。予約したのは当選が決まった6月だったが、それでも駅近のホテルはほぼ満室で、なんとか滑り込んだ格好だ。料金は1泊1万3000円。マラソン大会のときはどこも高いと聞いていたから、むしろラッキーだったのかもしれない。
夜は近江町市場近くの小さな寿司屋でのどぐろを摘まみ、ビールは一杯だけ。明日のレースのために早めに布団に入ったが、緊張でなかなか寝つけなかった。
当日の朝、カーテンを開けてため息が出た。雨である。しかも結構な降りだ。金沢は雨が多いと聞いてはいたけれど、よりによって今日か。気温は14度。この気温自体は走るのに悪くないが、雨となれば話は別だ。急いでコンビニに走り、100円のポンチョを買った。これが後に、とんでもなく役に立つことになる。
スタート地点のしいのき迎賓館前には、色とりどりのポンチョを着たランナーたちが集まっていた。15,000人。みんな雨に濡れながらも、どこか楽しそうだ。スタートブロックは意外と混雑しておらず、自分のペースで走り出せた。4車線の広い道路のおかげだろう。東京マラソンの開始直後のあの身動きできない状態を想像していた身には、これだけでストレスがひとつ消えた。
最初の数キロは金沢城の石垣や兼六園の緑を横目に走る。雨に濡れた石畳が鈍く光っていて、それはそれで風情がある。沿道にはすでに人がいて、「がんばれー」と声をかけてくれる。傘をさしながら、拍手を送ってくれるおじいちゃんもいる。雨なのに。それだけで胸が熱くなった。
驚いたのはエイドステーションの充実ぶりだ。金沢マラソンでは「食べまっしステーション」と呼ばれる給食ポイントが6ヶ所あるのだが、その内容が半端じゃない。15km地点だったか、最初の食べまっしで出会ったのが「笹寿し紅鮭」だった。小さな押し寿司にレモンの風味がほんのり効いていて、これが信じられないほど美味い。運動中で舌が馬鹿になっているはずなのに、はっきりと「美味い」と感じた。結局立ち止まって二つ食べた。その先ではゴーゴーカレーの一口サイズが配られていて、金沢カレーのスパイシーさが疲れた体に染み渡る。エイドが楽しみで走っているようなものだった。
半分を過ぎたあたりで雨が本降りになった。シューズはずぶ濡れで、一歩ごとに水が飛ぶ。それでも不思議と気分は悪くなかった。むしろ雨が体を冷やしてくれて、オーバーヒートせずに済んでいる感じがしたのだ。実際、夏のレースでありがちな頭痛や吐き気とは無縁だった。もちろんこれは好みが分かれるところで、晴れていればもっと景色を楽しめたのにと悔しがっていたランナーもいた。雨の日のマラソンは装備が命だと痛感したが、今回に限っては雨で助けられたと思っている。
そうそう、装備といえば、100均ポンチョは15km地点で破って捨てた。代わりにスタート前にゴミ袋の底に穴を開けて頭からかぶったやつが思いのほか役に立った。見た目は最悪だが、保温と防水を両立してくれる。周りのランナーも同じようなことをしていて、みんな考えることは同じなんだなと笑ってしまった。
30kmを過ぎると、いよいよ足が重くなってきた。世に言う「30kmの壁」である。金沢マラソンの後半はフラットだと聞いていたが、実際には小さなアップダウンが続く。激しい坂ではないものの、疲れた脚には地味にこたえる。とくに34km地点を過ぎるまでは微妙な傾斜が続いていて、心が折れそうになった。
そんなとき、沿道のおばあちゃんが差し出してくれたのが、自家製らしい梅干しだった。手作りの小さな紙コップに入っていて、「これ食べてがんばり」とだけ言われた。口に入れると、酸っぱさとしょっぱさが一気に広がって、信じられないほど美味かった。エイドステーション以外にも、沿道の人が勝手に私設エイドを開いているのである。飴をくれる人、バナナをくれる人、なかには塩を小袋に入れて配っている人もいた。これが金沢マラソンの応援の形なんだろう。おもてなしが「大会運営」だけにとどまらず、市民ひとりひとりの自発的なものになっている。
最後の5km、金沢駅の鼓門が見えたときには泣きそうになった。いや、ちょっと泣いた。ゴール地点の西部緑地公園までの道のりは声援が途切れず、知らない人たちが自分の名前を呼んでくれる(ゼッケンに名前が書いてあるのである)。そのたびに力が湧いて、なんとか走り切ることができた。
タイムは4時間38分52秒。決して速くはない。でも初めてのフルマラソンで、雨のなかで、エイドを楽しみながら完走できたという事実は、自分にとって大きな財産になった。
正直に書くと、困ったこともいくつかある。まずスマホのバッテリー切れだ。雨の中、防水ケースに入れていたつもりだったのに、ゴール直前で電源が落ちた。スタート前の写真は残っているが、肝心のゴール瞬間の写真も、完走後の近江町市場で食べたちゃんこ鍋の写真も撮れなかった。モバイルバッテリーは必携だと学んだ。
それから、着替えの問題。西部緑地公園の更衣室はテントで、床は土である。雨の影響でぬかるんでいて、着替えるのに一苦労だった。ビニール袋を敷いてその上で着替えるという知恵がなかったことを後悔した。次は絶対に大きめのレジャーシートを持っていこうと思った。
あとはやはり、終わったあとの疲れ方が想像以上だったことだ。金沢駅までのシャトルバスが大混雑で、結局1時間以上並んだ。雨のなか、汗冷えした体で待つのは結構きつい。ゴール後に羽織る防寒着と、温かい飲み物を手荷物預けに入れておくべきだった。これらは事前に誰かが教えてくれていれば、と思わずにはいられない。
では金沢マラソンはいったいどんな人に向いているのか。
まず間違いなく、タイムをガチガチに狙うレースではないと思う。コースも後半まで微妙なアップダウンが続くし、食べまっしステーションに立ち寄っているとどうしてもタイムロスになる。それでもいい、あるいはそれこそが醍醐味だと感じる人にこそ、この大会は向いている。
また、初心者にとても優しい大会だと思う。制限時間は7時間とたっぷりあるし、沿道の応援やエイドの充実ぶりがとにかく心強い。フルマラソン初挑戦の舞台として、これ以上ないほど温かい環境だった。
ひとつ注意点を挙げるなら、金沢の10月は本当に雨が多い。過去のレポを見ても、雨の大会は少なくない。防水対策は中途半端にしないほうがいい。そして雨だからといって落ち込む必要はまったくなく、むしろ雨の金沢には雨の金沢の美しさがあるということも、覚えておいてほしい。
ゴール後、ようやくありついた金沢駅のあんころ餅と加賀棒茶は、これまでの人生で一番美味いお茶と菓子だった。
来年もまた走りたい。いや、今度は走るだけじゃなくて、ちゃんと観光もして帰りたい。金沢マラソンは、ひとつのレースではなく「旅」だった。そのことを伝えたくて、長々と書いてしまった。










